会社名
株式会社大丸鋲螺製作所
所在地
大阪府大阪市東成区
創業/設立
1957年(昭和32年4月)/1978年(昭和53年9月)
営業品目
- 一般標準ネジ部品
- 特殊冷間圧造部品
- 各種樹脂インサート成型品
- 切削部品
- パイプ・綿材加工/バネ/ピン
- ダイキャスト、ロストワックス、焼結合金、MIM
- プレス加工部品
従業員
37人
1枚の図面からいくつもの製造方法を生み出すネジ職人が集まる製作所
戦後復興に沸く昭和30年代の日本。昭和32年4月に細山田末男氏が、鋲螺卸商の経験を活かすため大阪市東成区大今里に光製作所を創業、ネジ部品類の販売業務を開始しました。創業当時は復興関連でネジ部品類の需要が高く、業績は順調に推移します。
業績好調に伴い、昭和36年には社名を大丸鋲螺製作所へ改称、大阪市東成区深江南に移転し、さらなる需要に応えるために在庫販売体制を強化することを決断。
その後、昭和40年代は高度経済成長に伴い工業製品の需要が一気に増加。工業製品の生産になくてはならないモノだったネジ(締結部品)を手掛ける大丸鋲螺製作所には、注文依頼が殺到、体制強化の決断が吉となりました。あらゆる要望に応え続け、結果、規格品だけでも数万種類のネジ部品を世に送り出すことに成功します。
昭和53年には株式会社大丸鋲螺製作所(以下、大丸鋲螺製作所)として法人化。業界からも一目置かれる「ユリヤ化粧ネジ」の量産化に成功し、全サイズの在庫を完了するなど、各年代に渡り、新商品を開発、販売してきました。
その後昭和から平成へとなり、エレクトロニクス&デジタル産業の時代に突入。産業構造も「大量生産・大量販売」から「少ロット・多品種」に変化します。お客様からは「独創性・品質の均等化・迅速性」そして、「生産コストの低減」と非常に厳しい要望を受けるようになりました。しかしそのような状況でも、「1枚の図面でも製造方法はいくつもあります。」を合言葉に、お客様の締結に対する「困った」を解決し続け、創業から60年以上に渡って時代の変化に対応してきました。
そんな歴史と実績のある大丸鋲螺製作所を率いるのは、4代目代表取締役社長を務める細山田寛様。先代たちの想いを継承していかなければという想いを持ちつつも、時代の変化に対応するために、新たな経営を行う必要性を感じていました。そんな時に出会ったのがフォーバルであり、次世代経営塾です。フォーバルとの出会いから現在にいたるまでの振り返りを担当コンサルタントの丹羽が伺いました。
次世代経営塾の学び…業界の変化対応に経営の軸が欠かせないこと
フォーバル コンサルタント 丹羽 英史(以下丹羽):本日はありがとうございます。まずは先代から継承された平成25年当時の御社の業界の課題などについてお聞かせいただけますでしょうか?
大丸鋲螺製作所 細山田 寛社長(以下細山田社長):大手企業を中心に、中国や東南アジアでのものづくりを行うのが主流となってきたため、国内でネジを使う=作る機会が減っていました。また、日本国内における人口減少により、ものづくりの工程も変化しましたね。
例えば、ネジを締める工程において、「人の力を要する=人件費がかかる」という点から、ネジ自体をなるべく使わずにものづくりを行うケースが増加しました。結果、マーケットがどんどん縮小してしまったのです。
20~30年前、多くの家電や車などでネジが使われていた頃と比べると1/10以下になってしまっており、業界としては厳しい状況でしたし、現在にも言えることでもあります。
丹羽:全盛期の1/10はかなりの縮小ですね…。そのようななかで、細山田社長は平成28年9月~平成29年2月までの半年間フォーバルの次世代経営塾で学びを受けられましたが、業界の厳しい状況を打開するためだったのでしょうか?
細山田社長:もちろんそれはありました。私自身、社長となってまだ数年で、これから先について考えていたときでしたから。そんな時に、弊社がお世話になっている会計事務所の代表からフォーバルの次世代経営塾を紹介してもらいまして。
会計事務所の代表も次世代経営塾を受講され、数々の気付きが得られたという話も伺い、私自身もセミナーなどで直接話を聞いて興味が高まり、学びを受けようと決めたのです。
丹羽:なるほど。次世代経営塾での学びが終了されてから約2年半が経ちました。改めて振り返り、今でも印象に残っていることはありますか?
細山田社長:真っ先に浮かんだのが「経営理念の重要性」です。大丸鋲螺製作所にも元々経営理念はあったのですが、知っていたのが先代と私だけという状況でした。次世代経営塾に入塾する前までは、それで良いといいますか、そこまで重要性を感じていなかったのですが、入塾後は大きく変化しましたね。
「経営理念を軸とした経営=在り方、さらに100年ビジョン」これらは非常に意味のある学びとなりましたし、そのようにしていかなくてはという意識が芽生えました。今でもこの意識はとても大事にしています。次世代経営塾を紹介してくれた会計事務所の代表、そして気付きを与えてくれたフォーバルには感謝です。
株式会社大丸鋲螺製作所 代表取締役
細山田 寛 様
学びを実践に…第3者視点の指摘を得るための 経営支援を決断したことは正解だった
丹羽:次世代経営塾での学びが終わった後において、経営者自ら実践しようとする方もいらっしゃれば、フォーバルの支援を受ける方もいらっしゃいます。最終的に細山田社長は、フォーバルの支援を選択されました。そして私が担当となったわけですが、経緯について教えていただけますか?
細山田社長:次世代経営塾が終わった後、赤羽さん(フォーバル コンサルティングディビジョン 副ディビジョンヘッド)と面談する機会がありました。
いろいろな話のなかで、年齢層が広い大丸鋲螺製作所において、社内メンバーだけで学びを実践に移すことの難しさを強く感じさせられました。そのため外部の第3者からの指摘というものが必要だなと。それでフォーバルへの支援を決断しました。
丹羽:早いもので支援開始から2年半が経ちましたが、実際にいかがでしょうか?
細山田社長:第3者からの指摘からさまざまな化学反応が生まれ、総じて期待通りに進んでいると思います。
丹羽さんには幹部会議や営業会議など、さまざまな場面で社員たちに指摘してもらっていますが、総じてスムーズです。一方的ではなく双方向、現場の声をしっかりと受け止めたうえでの指摘だから、納得感が違うのでしょう。
あとは、会社の課題を具体的に数値で示して見えるようにしてくれるなど、今までの自分たちがやってこなかったことを対応してくれる点も良いと思います。
丹羽:ありがとうございます。次世代経営塾での学びでも仰っていましたが、細山田社長のなかで軸が明確になっており、こちらも支援にあたっての迷いがなくとてもやりやすいです。
株式会社フォーバル コンサルタント
丹羽 英史
自主的社員が増加したことで生まれたさらなる結束力
丹羽:細山田社長から見て、現場の変化はありましたか?
細山田社長:自主的(自ら考えて)に動いてくれる社員がこれまで以上に増えました。
先代はトップダウン型だったのですが、私はボトムアップ型の経営を目指していましたので、このような社員が増えたことはとても大きいです。
今までは、個の集まりのような状態でしたが、チームで集まって議論を行う姿を目にするようになりました。それだけはありません。部門の壁を越えて意見交換をし合うなどコミュニケーションも活発になり、今までにない変化が生まれてきています。
丹羽:確かに、それは私自身も強く感じていたことでした。特に印象に残っている変化を1つ挙げるとすれば何になりますか?
細山田社長:展示会の後のフォローですね。今まではトップからの指示に対してしっかりやってくれれば良いという傾向がありました。先ほどお伝えした通り、先代がトップダウン型でしたのでこれは当然のこと。
しかし、展示会の件は完全に真逆。社長である私から指示は一切しておらず、社員が未来の大丸鋲螺製作所のために自主的に動いてくれたのです。このような動きが目に見えてくることで、私もさらに社員に意見を働きかける動きがしやすくなりました。
このような現場の変化においては、次世代経営塾での学びと丹羽さんの多角的な支援が大きいですね。結果としていい方向になっていると思います。
丹羽:素晴らしいですし、とても嬉しいお言葉をいただき感謝です。ただ、これは次世代経営塾での学びを愚直に実践いただいた細山田社長の行動力の賜物だと思います。私はその背中をほんの少し押しただけに過ぎません。大事なのはこの変化を維持しつつさらに拡げていけるかです。引き続き注力していきたいと思います。
次世代経営塾での学びを実践に
平成29年9月に初の中期三カ年計画発表会を開催
理念・ビジョンを細山田社長自らが社員の前で語った
支援開始から約3年
個々の高い技術に加え結束力が備わった
社員の成長が結果的に数字にも反映されてきている
丹羽:支援前と支援後での大丸鋲螺製作所の経営成績における変化につきましても差し支えない範囲で教えていただけますでしょうか?
細山田社長:2年半が経ちますが、全体的には増加傾向です。今期は想定外のことも一部ありましたが、総合的には支援前と支援後で比較してプラスになったと判断します。ただ、それよりも大切なことがあります。
丹羽:大切なこと?それは何でしょうか?
細山田社長:中身の部分、つまり人です。私たちの業界はさまざまな外部変化によって国内マーケットの縮小が止まりません。今後もさらに厳しくなるでしょう。
そのような中で、社員がいなければ、幹部社員や若手社員が育ってくれなければ、新たな商品開発をすることもできないですし、競争に勝つこともできません。それは大丸鋲螺製作所のブランドが高めることができず、未来の大丸鋲螺製作所を築きあげていくことはできないことを意味します。
そのため、繰り返しにはなりますが、自主的に動いてくれている社員が増えた点がとても大きいのです。これは数字以上の価値ではないかと思います。
丹羽:自主的という言葉、今日だけで何度も出てきますね(笑)でも、おっしゃる通りです。
数字以上の価値を得た道程を歩んで芽生えた絆の証
振り返りを通じて、互いの表情から笑顔が絶えることはない
会社は存続させることが使命、出会った人を大切にしたい
丹羽:最後になりますが、今後の大丸鋲螺製作所の展望、またフォーバルに期待していることを教えてください。
細山田社長:ネジ自体は人が生活をしていくうえで絶対に無くなることはないと思っています。一方で使用される数、使われる場所も減っていますし、この流れは今後も変わらないでしょう。
そのようななかででいかにして生き残っていくか、そのためには本業隣接=今の事業から大きく逸れることはせずに、新たな事業の柱を作っていかなくてはなりません。そこは弊社の強みである商社でありながらメーカーとしての力を有している点を活かして挑戦していきたいですね。
そして、企業は存続してナンボですから、意味のあるM&Aも考えています。他人から見て魅力的な会社、大丸鋲螺製作所と組みたいなあと思われる会社にならなくてはと思います。
何よりも、ご縁があって出会った社員に、末永く働いてもらえるように、そして社員も社員の家族にも幸せになってもらえるような、そんな会社になりたいと思います。
フォーバルの支援によって、自主的に動く社員が確実に増えました。大なり小なり個人差はあるものの確実に変化はしてきている一方で、まだまだな社員がいるのも事実。これまでの支援を踏まえつつ、社内メンバーのさらなる変化がみられるような支援を期待したいですね。
丹羽:承知しました。現状に満足することなく、頑張って支援して参ります。本日はありがとうございました。引き続き宜しくお願いいたします。
エントランス前で
編集後記
細山田社長は、先代たちが築き上げてきたもの、歴史を重んじながらも、新たな試みをされていらっしゃいます。特にトップダウンからボトムアップへの転換、これは容易ではありません。
しかし、丹羽もインタビュー時に述べている通り、細山田社長の想いがブレずに一貫している点が非常に大きいです。その根底に経営理念・ビジョンという名の羅針盤が示す方向に愚直に実践し続けているからこそ、我々もより的を得た支援ができていると感じました。その結果の1つが、より自主的に動く社員の増加なのだと。
目指すゴールに向けて行うべきことはまだあります。共に支援をしていければと思います。
(2019年9月取材時)